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2008年5月10日 (土)

ギャラリーブリキ星「内海満昌展」(2008年)に行ってきました

2008年4月25日、西荻窪のギャラリーブリキ星さんで開催された、
「内海満昌展」に行ってきました。
内海さんは、毎年1回、ブリキ星さんで個展を開催します。
わたし自身、内海さんの個展を鑑賞するのは、4回目。
この取材レポートを始めてからは、2度目のレポートとなります。
毎回、春におこなわれ、毎年、一緒に観に来るお友達と今年もやってきました。

お友達とも、1年ぶり、ブリキ星さんとも、1年ぶり、
西荻窪も1年ぶりと、ほんと久しぶりづくしで、新鮮でした!
お友達とは、お互い忙しいので、この時しか会えず、
内海さんの個展を観たあと、必ず食事をし、お茶を飲み飲み、
近況報告がてら、お互い喋り倒し(笑)最後に甘いスイーツを食べ、
満喫・充電し、またやる気になって、お別れするという、お決まりのパターンですが、
これがどうにも、やめられないのであります*わたしたちの、密かな年中行事。
これをやらなきゃ、年度初めじゃないのですw

さて、今年も内海さんの個展を楽しみますよ!
あいかわらず、わたしの個人的な感想を書かせて頂きますが、
わたしが、そのように感じた、というだけですので、ご容赦頂ければ、と思います。

一番奥の、畳スペースに腰掛けて、見上げてみました。
天井からの光が降り注ぎ、まぶしさの中に、海でしょうか。船でしょうか。
白い波のようなうねりが見えます。

砂漠。砂浜。山。地平線。どれにでも見えてしまいますが、
かすかにたなびくような白い導きに手を伸ばしたくなります。

見上げた作品の、真正面に立ってみました。海に浮かぶ船かしら。
建物かしら。異国の地かしら。静かな、くらむ白とグレーの波間に、
ひとすじの黄色に見えるものが好きです。

この一番奥のスペースから観始めたのですが
「内海さん、海を描いてる!!」と凄く嬉しかったです。(わたしは、海だと感じました)

一昨年は、空に漂っているような、漠然とした浮遊感が大きかったのが、
昨年は、緑の絵や、お家の絵が描かれ、
「うわ~♪内海さんが、植物を描いてる♪お家を描いてる♪」と、
いちいち嬉しかった、わたし。
今年は、海、山、船といった印象が大きく、いつも白っぽい淡い色合いが多いのに、
今回は、黒・グレーの濃い色が使われている作品が2つあって、印象に残りました。

こちらが、その、濃いグレーが印象的な作品です。
わたしは、てっきり、砂浜に置いてある白いボートのようなものかと思いました。
もう使われることの無い、誰かが置いていった、白いボートの先は、
少し小高くなっていて、傾斜の向こうに、海が広がっているのかなと感じました。
一緒に観ていたお友達は、白い部分が、鷺かなにか、鳥のように見えると言いました。
そうか~そういうふうに観る場合もあるんだなあと、とても新鮮でした。
といって、果たして、この絵の、あの白いものがなんなのかは、
実は、まったく、わからないのであります。でも、わからないなりに、
その時浮かぶ光景を思い巡らせ、楽しいのであります。
ちなみに、題名拝見しましたところ、「ここにはない」いう題名でした。
お友達と一緒に「おおおおおお~!!!」と唸ってしまいました。

「内海さんが、海辺を描いてる~☆」と一番思ったのが、この絵。
内海さんは、綺麗な絵を描かれている方です。
でも、海というのは、綺麗なだけではないと思うんです。
はじまりでもあり、終わりでもあり、すべてのものが混ざり合った場所であり、
生きていく中で綺麗なことばかりじゃないと知ったときに訪れ、
それでも自分の目指す各々のものに向って、潮風を浴び、波音を聞きながら、
砂を踏みしめ、いつしか足跡は消えてなくなってしまうけれど、
それすら振り返ることなく、歩く、それが常。ざわつくものや、くぐもったものなど、
海は、海、そのもので、わたしたちの背中を押してくれているような、
全てを飲み込む存在のように思っている自分がいます。
そんな海を、内海さんが描いた(と、思った)。
なんだか知らないけど、嬉しかったんです。

ただ、何周も何周も観て回っているうちに、ふと、これは、
空の上から、雲の間から見える光景かもしれないとも思いました。
最初は海辺だとばかり思っていたのが、今度は違うふうに観えるように感じてしまった。
でも、短時間で、両方発見(?)できたことが、うれしくて。
地平線なのか、水平線なのか、肌の色のようでもあり、黄色にも見える、
放たれた雲母の帯が、すべてを包み込むような、逆に、果てない、
なにものをも、覆いこんでしまうような予感も、感じつつ、
どちらでもいいんじゃないかしらって、ただ、ただ、飽きることなく、見入ってました。

(あとで、題名調べてみたら、「20万年」でした。おおお~!こちらも唸り節。
 内海さんは、もっともっともっーーーと、先を見ていたんですね。)

2つのいただきの急勾配の白い山。頂上部分が、ちょっと黒いんです。
そこが、なんとも、たまらなく、好き* しろくて、しゅっとした急な角度、好きです*

こちらは、グレーの山。頂上部分、少し白く、霧が立ちのぼっているようです。
てっぺんというのは、自分が下にいる間、登る前、見上げている間は、
いつだって、息を呑むほどに神聖なもののように感じます。

ギャラリー入り口、入って左側の壁の作品を観ていきます。
黒い山でしょうか。白い山頂でしょうか。

なんとなくですけど、ほぼ真正面、同じ目線の位置のような、
自分の高さから、あそこを越える。と、見据えているような感じを受けました。

う~ん。この絵、好きです~*白い山の頂上?うっすら見える黄色に安らかさを感じます。

ここ、ここ~!!特に、ここが好きです!!(興奮*)
なめらかな風合い。ちょっと凹んでるところ、ちょっと黒いところ。
もう~なんか、ソフトクリームみたいだ!(喜*)

お隣は、潜水艦(?)みたいなものと、山、ですかね。

う~ん。潜水艦にも見えるし、海の向こうに見える街にも見える。
あれは、この先、左へ往くのか、下に沈むのか、自分が近づいてゆくのか、
自分は動かず、画面だけが右へ流れてゆくのか。いかようにもとれる。
ひとつ言える確かなことは、自分は、今、此処で立って、観ている、ということ。

一番端にあった、山の絵の頂上部分。ちょっとかけているというか、
凹んでいるような部分が、細かいところなんですけど、好きです*
ザイルを振り下ろした跡、みたいなね。
内海さんが、意図してしているものなのかどうかは、全くわかりません。
わたしが、細部フェチなだけ、という可能性が、大です。

入り口から見て、右側の壁の作品へと続きます。

新鮮な2作品がおでましです。

内海さんも、こういう絵を描くんだ~!と驚いた一枚。
題名は「袋小路(ユトリロ模写)」とありました。
ギャラリーブリキ星の加川さん曰く、
行き詰った時に、この絵を描いたら、そのあと描けるようになったのだとか。
内海さんも、そういうことがあるんだなあ、と、しみじみ。

先程の、濃いグレーの海辺の絵「ここにはない」といい、この黒!!
今回の個展で大注目です!
内海さんの作品で、黒い色って、わたし、観るの初めてなんです!
黒い海でしょうか。地上でしょうか。漆黒から白い空へ、うっすら黄色い光が
今にも生まれそうな瞬間です。この作品は、題名拝見しました。
「凍結」という題名でした。

う~ん。思わず、指でなぞりたくなります。掴みたくなる。
内海さんの絵の中に生まれた、わたしが初めて観る、
大地のような湿原のような、草原のような、海のような彼方(かなた)の黒。
お友達と一緒に「いい絵だねえ・・・」と見惚れていました。

陽は必ず昇ります。沈みゆく後、また生まれ出たかのように、今日も、朝がやってきます。
同じように、わたしたちは、幾千の確率の中から生み出される、奇跡に近い誕生を、
いつでも、神々しい気持ちで見届ける、見守ることができます。
そして、それは、作家さんが生み出す作品も、同じように思います。

わたしは、よく「内海さんって、どんな作家さんなの?」と聞かれることがあります。
実はそんなに知らないんですね。京都にお住まいで、同年代(30歳代)で、
お仕事がお忙しいというメールを一本頂いたことがある、ただ、それだけです。
どんな暮らしをしているのか、なんの仕事をして、なにが好きで、
どういう人なのか、ということまでは、知らないのです。
といって、わたし自身、必要以上に、知ることが無くても、
内海さんと接点の無い、遠く離れている現状でも、
こうして、年に1回、ブリキ星さんで個展を観賞することができる。
内海さんが描いた絵を観て、感じることができる。ただ、それだけで、嬉しいのです。

作家さんが、どうしてこのような作品を作ったのか、どんなことを考えて作ったのか。
正直なところ、わかるかと言われたら、わからないことが多いです。
そばにいても、隣にいても、たとえ一緒に暮らしていても、わからないこともあるでしょう。
人のこころは、100%、わかることはない。それは、ひとりひとりが他人だから。
たとえ、血がつながっていようとも、産み落とした母親であっても。
他人であるからこそ、別の人格であるがゆえに、違って当たり前で、
ひとりひとりの人間として、とても尊いものだと思うのです。

わからないながらも、思い返せば、
誕生した作品を、わたしたちは、手を伸ばして、胸を広げて、
受け止めることができる。感じることができる。
生きてきた年数も環境も性格も経験したことも、全部違うけれど、
あなたが、どんなに苦しかったり辛かったり、
泣きたいほどの、何度描くのを止めようと思ったかもしれないことも、
すべてを知ることはできない、変わってあげられないけれど。
何度でも、わたしたちは、そのとき、そのときのまなざしで観ることができる。
赤子を抱きしめるように、抱きとめることができる。
作品という命、作家さんの命、自分自身の命をも、感じることができるような気がします。

風が吹いているように見えてしまいます。白い山のような崖のような、家のような。

近寄ってみたら、思わず、肩寄せ合う3人家族のように見えてしまい、
うるっときてしまいました。なんてことはない、ただの穴のようなものが、
うつむく眼(まなこ)、遠くを見る視線、割と近くを見据える瞳に見えてしまったのです。

四角い箱は己を守る母体でしょうか。基盤を作り、柱を組み立て、
落ちないように、揺れないように、崩れたり、朽ちないように。
自分を支える、守ってくれる場所は、いったい、何処でしょうか。
わたしは、自分の居場所が欲しいと、いつも思ってきました。
そのためには、自分が居られる空間を作るべきだと、ずっと思っていました。
それを探す旅をする、画家になりたいと思ったこともありました。
そこで、現実として、家でもあり、アトリエでもあり、ギャラリーでもある、
そんな、ぽるるを開きたいと、思っていました。

かすかな、かすかな、そっと息をしている、やっと起きたような、
まだまだ眠い、そんなゆうらかとした、細い細い白い四角い建物のようなもの。
まるで雲の中のよう。誰も吹き飛ばさないで下さいと願ってしまいます。

ああ、ほんとうに、とけこんでしまいそうです。
儚く、霞のような、時の無い世界へ、ひとつになっていくようです。
うっすらと白い小さな白波がたっているようにも見えます。
ここ、すごうく、好きです。たとえ波でも、そのまま沿って乗って、
何事も無かったように、浮かんでいられるような気がします。

この作品は、黒い「凍結」の隣にあった作品です。ぱっとみ、しゃわしゃわとした、
しわっぽい、ぼけたような風合いで、他の作品と違って、よく見えない感じでした。
でも、いつしか、この白い建物みたいなものが、ふと、顔のようなものに見えてきて、
なんだか、霧の中、膝を抱いて、動けないでいる、ちょっと疲れた、少し呆けた、
ぼんやりしている、でもなぜか、とぼけた感のある、そんなものに見えてきてしまいました。
すこしだけ・・・自分を見たような気がしました。

あの小さな椅子の上の、山2つの絵は、まるで、夫婦、もしくは、大人になって、
背丈が同じくらいになった、目線が一緒くらいになった親子、そんな感じがします。
子は、自立しながら、親に感謝し、尊敬する。長生きして欲しいと願う。
親は、子を愛して止まず、ひとりの人として見守り、こころの中で応援し続ける。
親の気持ちが、振り返ると、ちょっぴりでもわかる、そんな年頃になると、
恥ずかしくもあり、嬉しくもあり、ありがたく感じます。

奥の畳の部屋に戻ります。机の上にあった、白い山のいただき、か、中腹か。
ああああ~!この絵、好きです~*****

ここ!ここ!ここが好きです、たまりませ~ん!(興奮*)
この、ちょっとした、盛り上がった、たまったところ。細部フェチ、只今参上!
このなだらかな傾斜といい、未だ、山の、途中。そんな感じが、とても好きです。

畳の部屋の壁に掛かっていた作品。目を引きます。引き込まれます。
グレート白の割合。絶妙。真ん中のくぼみ部分の混ざり具合。
なんだかわからないけど、たまらなく、好きです。
だいたい、わたし、内海さんの絵は、題名、ひとつひとつ見てないです。
ほんと、申し訳ない、こんな鑑賞の仕方で、どうなのかなとも思うんですが、
それでも、やっぱり、好きなんです。

ちょっと立ち位置、見る角度を違えると、また雰囲気が変わります。
内海さんの絵というのは、多分、どんな心理状態、精神状況で見ても、
全く同じようには見えないのかもしれません。わたしたちが、刻一刻と変わっていくように、
見るたびに、違うことを思ったり、感じることができる、
空気を吸って吐いているような、生きている絵なんだなあと思います。

山のような絵がありました。海のような絵がありました。
箱のような建物のような絵がありました。
理由さえもわからずに、なんだろう、
それでも、わたしも、お友達も、やっぱり、
「観に来てよかった」そう感じました。

わたしたちは、何度も観ました。一周、二周、三周以上しました。
絵が、向こうから、「いったい、何回観れば気が済むんだよ」と
呆れるくらい、右往左往しては、あれ、これってこんなだったっけ?
と、一時も、一瞬も見逃したくなくて。忘れたくなくて。目に焼き付けたくて。
なぞるように、辿るように。それでも、やっぱり。思い思い、わたしたちは、観続けました。

観終わって思ったことは、
人は、ずっと、同じではない、変わってゆくものだ、ということ。
ひょんなことから、新しく見えてくるものと出会うことがある。
それらは、紛れもない、自分の毎日毎日してきたこと、
小さなひとつひとつが積み重なって、手にすることができる事実。
すべて、自分の中で、手繰り寄せられ、取捨選択され、
ぽこぽこと煮詰められていたものに過ぎない。
今か今か、と、出番を待ち望んでいたはずだったもの。

遠くに、見えてる先、ずっと向こう、山の頂上、はるか海の彼方。
一段上がれば、高さが変わる。視界が変わる。視野が広がる。
今まで気付きもしなかったものが、見えてくるようになる。

そして、今まで頑張って、やっと、山の中腹まで来て、
下も見下ろせるようになっても、まだまだ、上があること。
上に登れば登ったで、達成感もひとしおでも、
すぐ横には、遠くにもっと高い山があり、
呼ばれるように、導かれるように、目指す自分がいたりする。

その時、その時、意識が変わる、
自身の内なる段階によって、見えてくるものは、違ってくる。
恐れることなく、受け入れるということ。
それが、生きていく、ということなんだなあと思いました。

内海さんは、職場で、新しい役職になって、
仕事をとても頑張ってらっしゃると、メールでお聞きしました。
わたしも、今年から、新しいことをはじめられるよう、
今までしていなかった勉強をしようと思っているところです。
まだまだ、山は遠く果てないけれど。次の山を目指して、頑張ろう。
そんなふうに、元気、勇気付けられた気がしました。

内海さんの個展を開催して下さっている、ブリキ星さんに、感謝しています。
外の喧騒を忘れる心地良い静けさ、澄んだ空気、ブリキ星の加川さんの存在。
このギャラリー空間すべてが、内海さんの絵画を受け入れ、
新しい景色になり、わたしたちを誘ってくれました。

わたしは、わたしの居場所が欲しいと、ずっと思っていました。
でも、わかったことがあります。
わたしの居場所は、わたしの胸の中にある。
わたしが、観たこと、聞いたこと、触れたこと、感じたこと。
受け入れた、すべてが、わたしの「生きた様子(いきざま)」であり、
このように、レポートを書くことができることこそ、
わたしの生きている証であり、わたしがわたしと対峙する、
わたしの居場所であり、自分自身なのだということ。

ギャラリーブリキ星の加川さん、今年もどうもありがとうございました。
内海満昌さん、こころが洗われる、ひとときでした。ほんとうに、来てよかった。
今年も、内海さんの絵を観ることができたこと、とっても嬉しく思っています。
どうも、ありがとうございました!

■ギャラリーブリキ星
東京都杉並区西荻窪北5-9-11  Tel 03-5938-8106
http://members.jcom.home.ne.jp/burikiboshi/
定休日:月火  営業時間:11時~19時
アクセス:JR西荻窪駅徒歩10分

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